月曜日, 7月 16, 2007

労働契約法案をめぐる企業の攻勢

中国:「労働者優遇は許さない」--労働契約法案をめぐる企業の攻勢
【解説】2006年3月20日、全人代常務委員会が「労働契約法」草案を発表し、約一ヶ月のパブリックコメント募集を行った。募集期間の一ヶ月の間に19万1849件もの意見が寄せられ内65%が労働者からの意見であった。草案の内容は、長時間労働や労働契約期間の短期化などを改善することを目的としたことから、内外の企業の側から大きな異論の声が上がっている。欧米の現地法人会などは「法案が通過すれば撤退もあり得る」と強硬な姿勢を崩しておらず、中国に投資する日本企業でつくる中国日本商会も企業の権益を強化する法案修正を訴えた詳細な意見を全人代に提出している。同法案は夏にも再度審議され、スムースに行けば来年年明けからの適用となることから、企業の側も必死である。
今回翻訳したのは、日刊紙「第一財経日報」による、法案の研究チームの責任者である中国人民大学労働関係研究所所長、労働法博士の常凱教授へのインタビューである。常凱教授の発言から、現在の中国で労働者がいかに権利を侵害されているか、またどれほど企業が自由に労働者を雇用・解雇しているかをうかがい知ることができるだろう。また中国における労働組合の実態の一面もうかがい知ることができる。労働条件の引き下げ競争がアジア、世界規模で行われている。中国の労働基準の劣悪さは、日本における産業空洞化や雇用の不安定化と直結している。アジア規模での国際的な連帯を通じた労働条件の引き上げは急務である。(編集委員会)
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「労働契約法」は使用者を守るのか、それとも労働者を守るのか--常凱と董保華、二人の教授の分岐「第一財経日報」2006年4月6日
2005年3月、国務院法制室は中国人民大学労働関係研究所に対して全国12の法律系大学院の18名の専門家による「労働契約法」法案研究プロジェクトを組織するよう委託した。一年後、全人代に提案する法案が公表されたが、プロジェクトチームの中で二つの分岐が現れている。
プロジェクトチームリーダーの中国人民大学労働関係研究所所長、労働法博士の常凱教授と、おなじ18名のプロジェクトチームメンバーの一人、華東政法大学の董保華教授がそれぞれの代表的人物である。
立法の過程はそれぞれの権利の主体の利益の衝突の過程でもある。「労働契約法」(草案)に対するパブリックコメントの受け付けは、労使双方およびそのスポークスパーソンに議論のプラットホームを提供した。常凱と董保華は個人的には非常に親しい友人であるが、それは学術上の見解の相違を妨げるものではない。
今回の論争は数億人の労働者の権利に関係する。それは改革をどのようにみるのか、という論争にも関わることである。公共の利益に関わる重要な問題について、政府はいかに効率と公平さをたもつのか、ということでもある。
「第一財経日報」は先週、董保華の「われわれにはどのような労働契約法が必要なのか」という論文を掲載した。そして昨日、常凱は本紙記者の単独インタビューに答えた。
常凱は、董保華との分岐は法律の条文上の問題ではなく、労働契約法の評価、労働基準の評価、現行の労使関係で労働者と雇用主のどちらがより守られていないか、という基本的な問題において分岐があると語った。
分岐の起点:立法は労働法と契約法のどちらを根拠に?
当初の草案から改定案、そして全人代への提出法案へいたる過程は、「労働契約法」の脱胎換骨の過程でもあった。なかでも最も顕著に変化したのは立法根拠が当初の「契約法」から「労働法」に変ったことだ。両者の最大の違いは、「契約法」は労使双方を対等にあつかっており、「労働法」では明確に労働者の側に立法の力点が傾斜していることにある。これが労働契約法に関する論争の起点である。
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第一財経日報:「労働契約法」に対する評価をお聞かせ下さい。
常凱:「労働契約法」は基本的に優れた法律です。一つ目に、それは労働法の一部であり、労働者の保護を通じて労使関係を調整しようとするものです。二つ目に、現在のわが国の労使関係の調整の必要性に合致するものです。とりわけ、短期雇用や派遣労働などの問題などについてです。三つ目に、「労働契約法」は国際的な労働契約法の経緯や方法を参照し、中国の実際の状況と結合させたものです。この法案はまだ大雑把なもので、具体的な条文はまだまだ討論可能です。たとえば経済的補償金や契約解除の方法、派遣のルールなどについてです。競合企業への転職なども討論ができるでしょう。
第一財経報:労働契約法の制定にあたっては、二つの立法根拠が選択可能でした。一つは契約法、もうひとつは労働法です。法案は労働法による立法根拠を選択しましたが、これについてはどのようにお考えですか。
常凱:当初の案では契約法を根拠としていました。「当事者の利益を保護しなければならない」という文言は完全に「契約法」の考え方です。われわれは、法制室に意見を提起しました。労働契約法は労働法の体系に含めなければならないと。当初の法案にあった「契約法」を援用した立法主旨を変更して改定案を提出しました。全人代に提出された正式な法案では労働法を根拠として制定すると明記しています。本質的に、労働契約法は社会法であり、社会的利益を立法の目的としなければなりません。多数の労働者の保護は社会的利益の最も基本的なものです。当事者双方の権利を守らなければならないという考えは、労働契約法の性質と相容れないものです。労働契約法が労働者の側に有利である、という考え方は契約法に基づいているからです。ですが実際は労使の力関係は対等ではありません。労働者の集団的な力が形成されておらず、労働組合の力も限定的な状況において、もし国家が法律で介入しなければ、労使関係はいっそう不平等になるでしょう。労使の対立はすでに社会の主要な矛盾の一つになっています。国家法制室に提出した意見の中で、わたしたちは社会経済の安定的発展と国家競争力の向上という立場から、労働契約法において労働者保護を重視しなければならないと提起しました。
分岐その一:自由か規制か
第一財経日報:政府による主要市場への関与が改革の障害になっているという意見があります。労働契約法の一部の条文では、政府による規制が強化されており、西側諸国ですすめられている労働力市場の規制緩和と逆行する、という主張もありますが、これについてどのようにお考えですか。
常凱:中国の労働力市場の規制は西側よりもゆるやかです。中国の労働力市場はほとんど規制がないといってもいいかもしれません。規則はあるが厳密ではないのです。たとえば多額の賃金未払いは中国特有の現象です。原因は、政府の規制が弱いということのほか、労働者の交渉能力が弱すぎるということにもあります。ですから西側諸国がこうだからわれわれもそうしなければならない、というわけにはいきません。西側諸国では相対的に規制が規範的であるという状況の中で、政府が規制を緩和する場合もあるでしょう。たとえばドイツでは、いままさに労働法の中のある規制が撤廃され、労使双方の自治にまかせるという方向に進んでいます。しかし中国ではそのような状況にはありません。労働力市場は他の主要市場とは異なります。経済関係だけではなく社会的関係にも関連するからです。とりわけ中国の労働市場のルールが規範的ではないという現実において、自由放任は強者の側に有利となり、弱い側はますます弱くなります。また、政府による主要市場への介入には程度の差があり、一概には評価できません。労働力市場においては政府はあまりに管理しなさ過ぎているといえるでしょう。これまでこの方面に関する政府の関与は極めて脆弱でした。たとえばレイオフですが、政府は労働者の立場ではなく、企業の立場に立って労働者に「対応」しており、裁判所は集団的レイオフに関する争議の提訴を受理しないなど、あまりにひどいケースが目立ちました。いま政府が労使関係を対等なものにしようとしている時に、政府の関与が大きすぎるという主張は、あまりに不公平ではないでしょうか。労使の関係が不平等というなかで、さらに政府に規制緩和を進めさせたら、労使対立はいっそうひどくならざるを得ません。
第一財経日報:西側諸国の例では、労使対立のときには、労使交渉と政府の介入が矛盾を解決するための重要な手段です。なぜ後者のみを強調するのですか。
常凱:もし規範的な労使関係を形成するのであれば、労使自治と労使交渉は重要です。しかしいま問題なのは労働組合に力がない、ということではなく、労働組合が労働者を代表することができるのかどうか、ということです。今回の「労働契約法」の起草において、全国総工会(中国唯一のナショナルセンター)は、労働者の権利の保護に関して積極的な努力をしました。しかし企業レベルの労働組合は効果的に労働者を代表することができません。わたしたちのプロジェクトチームが企業調査をしたとき、おおくの企業内労働組合の代表は労働者の立場ではなく、企業の立場に立って、人材資源の管理という観点から今回の労働契約法を考えていました。
分岐その2:労働基準は高い?低い?
4月1日、北京大学で開催されたアナロジー法廷において、董保華と常凱は初めて直接対決した。いまの労働基準は高いか低いか? 董保華はいくつかの見解をしめした。それによると、労働契約法は、「労働貴族契約法」ではないか、という批判である。それに対して、常凱は、労働基準は全面的な指数でなければならず、賃金という最も核心的な概念から考えなければならない、という。この10年のGDPにしめる賃金の割合は、年々低下しており、労働者が経済成長の成果を十分に享受していないことを示すという。
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第一財経日報:董教授の労働基準に関する考えをどう思われますか。
常凱:ある国の労働基準が高いか低いかを判断するとき、一つの指標だけで判断することはできません。わが国の一部の労働基準の指標、たとえば40時間労働や割増賃金基準などは確かに比較的高いといえるでしょうが、それだけで中国の労働基準が高すぎるとはいえません。労働者にとって、これらの項目だけを比較しても意味がありません。賃金、雇用の安定性、社会保障の水準、労働安全状況、職業訓練など総合的な水準を考慮しなければなりません。これらの指標を総合すると、わが国の労働基準は国際比較において低水準に位置するだけでなく、わが国の経済関係と社会的権利の体系においても比較的低位に位置することになるでしょう。もしわが国の労働者の賃金と企業の利潤を比較せずに、単純に外国との比較で考えると、それはおかしな問題設定となるでしょう。
第一財経日報:といいますと?
常凱:労働基準の中でもっとも基本的な指標は「賃金問題」です。賃金比較をする場合、労働者の収入の他に、経営者の利潤を比較しなければならないということです。儲けの中からどれだけ労働者の取り分があるのか、ということです。1994年、わが国のGDPに占める賃金の割合は14.24%でしたが、2003年では12.57%に低下しています。ここ数年のGDPは年8-9%の速度で増加しており、賃金もそれにつれて増加していますが、同時に二極分化も深刻になっています。アメリカでは1990年の賃金分配はGDPの49.67%、2002年には47.9%でした。ひとつ付け加えなければならないのは、わが国の労働法では雇用主という概念がないことから、勤労者の賃金とGDPを比較する場合、労働者と企業の管理職(経営陣)の賃金がすべて分子に含まれるのです。労働基準の高低は、経済発展と労働力市場の需要と供給だけでなく、労使間の力関係も関係します。労働組合が労働者を代表して組織的な力で資本と争って労働条件を改善することができない現状状況では、国家による労働法制と労働行政において、労働者の権利を保護しなければなりません。現在の状況において労働基準が引き下げられた場合、労働者の生活はさらに悪化するでしょう。
第一財経日報:董教授は、労働貴族契約法をつくるべきではない、「錦上花を添える」(良いものをさらによくする)ではなく「雪中に炭を送る」(厳しい状況を支援する)でなければならないと主張していますが、あなたはどうお考えですか。
常凱:問題は、いまわれわれはが直面しているのは「錦上花を添える」ではないということです。「労働契約法」草案の規制は依然として「雪中に炭を送る」ことなのです。中国の労働基準は非常に低いレベルにあります。労働契約法は雇用主の権力を制限するもので、それは議論の余地はありません。どの程度制限するのかについての討論はできるでしょう。しかし、原則を変えることを目的とした「労働貴族契約法」という概念の提起は不真面目なものです。労働契約法はすべての労働者に適用されなければならないと考えています。わが国の労働基準をこれ以上引き下げることはできません。高すぎる牢記順は実現できないが低い労働基準なら実現できるのでしょうか。そのような論理ではないと思います。雇用主と労働者はどちらも自らの利益を最大化しようとします。もし労働者が基準を引き下げたとしても、雇用主はやはり自らの利益を最大化しようとするでしょう。
方法論上の誤差
常凱教授は、スタート地点の違いによる分岐の他に、人的資源管理の理論で労働契約法を批評するのも適当ではないと指摘する。人的資源管理の理論と労働法の理論は異なる理論であり、そもそもの出発点が違うという。端的に言うと、人的資源管理は経営者の立場にたって企業利益を最大化することを目的としたものであり、労働法は労使双方のバランスを目指したものである。
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第一財経日報:あなたはかつて人的資源管理は労働者への配分を少なくして、多く働かせるものであり、労使間のバランスを解決することはできないものであると提起したことがありました。なぜそのような結論に達したのですか。
常凱:人的資源の目的は企業の競争力を高めるというものです。企業が労働者を管理する方法の一つです。業績管理とは効率をたかめて労働者をもっと働かせるものであり、賃金管理とはいかに賃金を抑えるかというものです。それは人的資源管理という学問からいえば咎めることはできませんが、労使間の問題を解決することはできません。
第一財経日報:「労働契約法」のなかで一部の規定が、企業の雇用権限に影響を及ぼし、それが企業収益に影響を及ぼすという懸念が伝えられていますが、それについてはどうお考えですか。
常凱:それは人的資源という考えから労働契約法を評価した場合の結論です。それは使用者の側に一方的に立って労働契約法を見たものです。業績、賃金設計、フレキシブル管理などは企業による労働者奨励の方法です。もし完全にそのような考えに従うのであれば、労働契約法は「労働者管理法」になってしまうでしょう。
もうひとつ重要なことがあります。中国と西側諸国の人的資源管理の背景が異なるということです。西側では労働側の団体協約と労働組合の力が一定程度あるという基礎の上に人的資源管理があります。わが国では集団的な労働関係が基本的に形成されておらず、労働関係は「アトム化」されています。人的資源管理は基本的には労使関係については触れないことから、わが国ではただ単に、どのように労働者を管理するのか、ということにしかなりません。
第一財経日報:わが国では労使関係が人的資源管理の考えの中に欠けているとのことですが、それはどのような結果を導き出すのでしょうか。
常凱:労使関係という考えが希薄であることによって、労使の矛盾はますます激化します。わたしは、企業の長期的な発展のためにもこの問題については提起してきました。労使関係の軽視によって、労使の矛盾は社会で最も先鋭的な問題になっています。過度に労働者を搾取するということは目先の利益だけを考えているからです。それでは企業の長期的発展にとって良いはずがありません。海外の経験では、労使関係は規範的なメカニズムとして存在し、双方意見を述べることができ、それによって企業はさらに競争力を高めることができるのです。
人的資源の観点からものを考える人の中には、労働契約法が通過してしまうと、現在の人的資源管理のモデルに衝撃を与えるのではないかと心配している人もいます。もし衝撃があるなら、それはまさに労働契約法の積極的な一面といえるでしょう。なぜならわが国の人的資源管理には多くの弊害が存在しているからです。
分岐の根源
董保華教授は法案に対する意見聴取期間のなかで、異なる見解を提起した。彼のことを使用者側の代弁者であり、少数派意見であるという人もいる。常凱はそうは考えない。使用者側の意見はこれまでずっと少数派であったことはなく、きわめて広い社会的基盤を持っているという。
労働契約法に関する研究会においても、使用者側の主張が主流をしめるという。逆に発言権を掌握していない労働者は立法の過程に置いても非常にか細い声しか発することができない。このような判断に基づき、プロジェクトチームは法制室へ報告を提出する際に次のことを特に強調した。「労働契約法は労働関係当事者の利益にとって極めて重要である。それゆえ、各当事者の代表は積極的に立法の過程において自らの利益と要求を実現しようとする。しかしわれわれは調査研究の過程で、意見を提起することができるのは基本的に企業の側であり、企業内労組および労働者が自らの主張を提起することは極めてまれであることを明確に感じている。それゆえ、労働契約法の立法にあたっては、各方面の意見を全面的に聞き入れ、とくに労働者の利益を反映している、あるいはそれを代表する意見を聴取し、社会的基礎と弱者を保護する原則を堅持しなければならない。」
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第一財経日報:労働契約法の草案は労働者の側に立ちすぎている、という意見がありますが。
常凱:それはありえないでしょう。労働契約法の立法主旨は労使関係の均衡であり、どちら一方の側に立つことはありません。労働者の保護についても一定の条件を設けていますし、雇用主の利益ともバランスを取らなければなりません。実際には、労働契約法の立法の過程では労働者よりも雇用主からの影響の方が多いくらいです。立法において雇用主側は大声で主張を提起しています。
たとえば労働派遣についてですが、外国では、労働派遣の業種を厳格に制限しており、わたしたちもそのように提起しました。しかし中国の大部分の派遣はこのような業種で行われており、中には企業が負わなければならない一定の義務を回避するために派遣労働者を導入しているケースもあります。しかしわれわれの提案は採用されませんでした。雇用主からの圧力が大きかったからです。
ですから、経営側を代弁する声は決して孤立しているわけではありません。発言権のない労働者こそが立法過程において孤立しているといえるでしょう。

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